広川峯啓の“笑いま専科”

広川峯啓の“笑いま専科”

4月 1日

思い出のボードビリアンたち・トニー谷(後編)

このタイトルを決めた時には、一回に付き一名を簡単に紹介していこうと考えてたんですが……。いざ書き始めると、あれも書いとこう、ここにも触れておこうとするうちに、前中後の3部作になってしまいました。

次からのボードビリアンについては、なるべくコンパクトに納めるつもりです。と、言い訳したところで本題に。

テレビ時代が到来したことで、持ち前の毒舌を封印されてしまったトニー谷は、1960年代初頭まで映画、舞台の脇役を活動の中心にします。それでも、唯一無二の個性の持ち主だけに、出番は少なくても強烈な存在感を示していました。

そのままフェイドアウトしてしまえば、昨今の一発屋と変わりませんが、ある番組を機に人気を取り戻します。それが日本テレビ系で放送された『アベック歌合戦』でした。

もともとの持ち芸だったソロバンの代わりに、パーカッションの拍子木を手に、決めセリフ「あなたのお名前なんてえの?」と質問。出演者は「~と申します」と返すのがパターン。この軽妙なやり取りが全国的な人気を集めました。

もちろん、アベックの出演者に多少馴れ馴れしい物言いはしても、毒舌をあびせることはありません。つまり、ここにきてようやく、トニー谷はテレビで許容されるスタンスを発見したのかもしれません。

多芸多才だったトニー谷だからこそ、得意技の一つが封印されても、何とか復活を遂げることができたんでしょう。番組は何度かリニューアルを重ねた後に終了しましたが、それ以降は芸能界の一線を退き、ハワイに居を構えて余生を過ごし、時おり日本に戻って芸能活動を行いました。

つまり、大橋巨泉が広めたと言われる“ハーフリタイア”をいち早く実践していたのがトニー谷なんです。芸だけでなく、生き方までも独自性を発揮し続けた伝説のボードビリアンでした。
3月 29日

思い出のボードビリアンたち・トニー谷(中編)

トニー谷のオリジナル芸といえば、前述のトニングリッシュと、ソロバンをパーカッション代わりに歌って踊るパフォーマンスが有名でした。しかし、その後あまりにも多くの芸人が受け継いだために、却ってオリジナルの芸風だったことが忘れられてしまった芸があります。

いわゆる「毒舌」です。今では多くの芸人が持ちネタにしていますが、ルーツをさかのぼっていくと、大きく2つに分かれることに気付くでしょう。

ひとつは、わざと的外れな文句を付けて、ツッコミを入れられる関西由来の毒舌。「ボヤキ漫才」と呼ばれ、古くから親しまれてきました。それとは違い、図星を突くことで、笑いを取るのがトニー谷の芸風でした。

それまでなかったタイプの笑いは、戦後の混乱期に一斉風靡しましたが、あまりにも過激だったため、テレビ、ラジオでは封印せざるを得ず、同時に人気も下降をたどりました。一般的には、息子の誘拐事件を機に毒舌が薄れたとされますが、個人的には、テレビサイズに合う芸が確立できなかったからと考えます。

テレビ創世記には、政府や役人に対する風刺の笑いは認められても、それ以外の毒舌は排除されました。その代わり、でもないんでしょうが、東京下町ならではの乱暴な口調は、渥美清の寅さんや毒蝮三太夫をはじめ、メディアでも愛されてきました。ただ、その内容自体は人情味にあふれ、親近感を感じさせるなど、毒舌とは似て非なるものです。

毒舌自体は、東京の寄席、演芸場では古くから聞くことができましたが、テレビで注目されるようになったのは、80年代の漫才ブーム以降でしょう。もともとはB&Bがボヤキ漫才をアレンジした広島・岡山対決のネタが話題を呼び、それを巧みに取り入れた紳助・竜介やツービートの漫才も全国的な人気を集めました。

ここまでは、ボケの「ボヤキ」にツッコミが入るパターンでしたが、そこからツッコミを取り去ってしまったのが、ベストセラーにもなった新書『ツービートのわっ毒ガスだ』でした。これをきっかけに、以降は現在まで、続々と新進の“毒舌家”が登場しているのは、皆様ご存知のとおり。

いつのまにか、ボードビリアン・トニー谷の話から、日本毒舌史のようになってしまいましたが(いつものこと?)、次回の後編で見事軌道修正してみせます(予定)。
3月 27日

思い出のボードビリアンたち・トニー谷(前編)

大震災で世の中が騒然としているいま、お笑いの世界にも多大な影響を及ぼす可能性が出てきています。しかし、その方向性がはっきりするにはもうしばらくの時間が掛かるのかもしれません。

そんな時期だからこそ、あえて過去の芸人について、思いを寄せてみたいと思います。これまで多くの芸人が一世を風靡してきましたが、その中でも比較的語られることのなかったボードビリアンに焦点を当ててみましょう。

ボードビルというジャンルを最近耳にする機会が減りましたが、乱暴に括ってしまえばピン芸ってことです。つまり、ボードビリアンはピン芸人ですね。R-1グランプリに出場していた芸人すべてをボードビリアンと呼んでも、決して間違ってはいません。

ただ、その昔、ボードビリアンと呼ばれた人々の多くは、その人ならではの独自の芸を持っていたものでした。その芸は、昨今のように1年程度で飽きられたりすることはなく、十八番(おはこ)の持ち芸として、長年に渡って観客から愛されてきました。

そんな往年のボードビリアンの中で、今もいちばん知名度が高いのが、やはりトニー谷ではないでしょうか。日本語と英語を巧みにミックスさせたトニングリッシュは、戦後の日本に爆笑をもたらせました。

最近だとルー大柴が日本語と英語をミックスするネタで受けを取りました。ただし、技術的な面ではむしろこちらの方がシンプルで、トニングリッシュは複雑で技巧に飛んでいました。

トニーの代表曲「さいざんすマンボ」は、彼の死後、リバイバルヒットを記録しましたが、芸人・トニー谷の名を知らない人が聴いても、十分楽しめてしまうところが、ボードビルの凄さなのかもしれません。(続く)
プロフィール

hirokawa takaaki

「週刊テレビガイド」「TV Bros.」等の編集者として、客観的な目で見ることのできる立場からテレビと接する。 平成10年 フリーのライターとして独立。依然としてテレビ関係の記事、コラムを中心に活動。数年がかりの仕事として、日本テレビ50年史(非売品)の記事、コラムを共同執筆する。ミーハーさとマニアックさを合わせ持った目線で、ありとあらゆるバラエティを紹介していきます。

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