間に「キングオブコント」の話題を挟み込んだせいで、すっかり間隔が空いてしまいました。すみません。前にどんなことを話したのか忘れてしまったり、そもそも、それ読んでないけどって方々のために、簡単なおさらいから。

日本でコントというものが演じられるようになったのは、昭和に入ってからと言われています。その黎明期に作られながら、今もって名作として語り継がれている作品が、菊谷栄が執筆し、エノケンこと榎本健一が主演した「最後の伝令」なのです。

エノケンという名前は聞いたことがあっても、菊谷栄という作家を知る人は少ないかもしれません。というのも、若くして日中戦争に出征し帰らぬ人となった「幻の天才」なのです。

生前よりも、むしろ死後に様々な伝説が掘り起こされ、最近になって評伝も発表されました。それによれば、コント以外の創作でも才能を発揮したとのこと。もしも戦地で命を落とすことがなければ、その後の芸能界を大きく変えたのでは。

「最後の伝令」からは、そういった才能のきらめきが強く感じられます。まず、このタイトルですが、初演の際の正式名は「大悲劇・最後の伝令」。抱腹絶倒のコメディに、あえて真逆の演題を付ける発想は、とても戦前のものとは思えません。

19世紀の南北戦争を舞台にしたこの作品。といっても、繰り出されるギャグの数々は、演じる役者が棒読みだったり、裏方のスタッフと役者がケンカしたりと、コントの元祖でありながら、早くもその枠をぶち破った破天荒なものでした。

こうした手法は、今でこそ様々なコント、喜劇の中に取り込まれてますが、元祖の持つパワーはとてつもなかったと推測できます。例えギャグ一つであっても、ゼロから生み出したものは輝きが違いますから。

この不世出のコントは、後に同じエノケン主演の舞台「雲の上団五郎一座」の中で、劇中劇として演じられてきました。しかし、劇中劇にしてしまったことで、コントの持つ破天荒さを自ら狭める結果になったようにも思えます。

いま、あえて再演するなら、コメディ専門でない劇団によって、書き割りじゃない真っ当なセットの中で演じられることで、初演以来のインパクトを発揮できるんじゃないでしょうか。あっ、タイトルでネタバレするから「ラスト・メッセージ」とか、アレンジした方がいいかも。ってことで、どこかでやってくれませんかねぇ。文学座さん、劇団四季さん、どーですか(笑)。