昭和初期、日本にコントが誕生した経緯からはじまり、テレビ放送開始によって、電波に乗ったコントが、日本中のお茶の間を爆笑させるようになったところまで進んだ「日本コント史」。

勝手気ままに書いてるように見えるかもしれない当コラムですが、筆者にとって実は、当初から頭の片隅でくすぶり続けている一つの問題がありました。それは「コントを演じる人をどう呼ぶべきかという問題です。

最近では、漫才師に対応して「コント師」という呼び方が広まり、筆者も時々使っています。ただ、歴史上の人物ともいえる諸先輩方を、最近の呼称で括ってしまうことには、やや違和感を感じてしまいます。今後、NHKをはじめ各メディアで「コント師」という言葉が普通に使われるようになれば、対応も変わってくるかもしれませんが、

そこで、頻繁に使っていたのが「芸人」という呼び方。少なくても今は、この言葉に差別的な意図を込める人間は少ないと思いますが、そう呼ばれることを快く思わないベテランの方々は、今もいらっしゃるようです。

その昔、今ほどお笑いという芸が高く評価されていなかった頃に、見下すような態度で「芸人!」と呼ばれた経験があるからなのかもしれません。もちろん、そういった感情も十分に尊重すべき事だと思っています。

そんな先輩方が、自らを称した言葉が「喜劇役者」です。前回紹介した由利徹も、こう呼ばれることを好んでいました。コントよりも喜劇の方が格上というイメージもあったのかもしれません。

この、コントとか喜劇とかのジャンルを表す用語についても、皆さん様々な思いをお持ちのようです。コメディ、軽演劇、ドタバタ、アチャラカなど色々ありますが、指し示す範囲を厳密に定める人もいれば、この言葉については差別の意味があるから使ってくれるなという方までいます。

あっ、「色もの」という言葉も差別というか、もともとは芸に格差を付けるための用語でした。しかも演じる舞台、さらには地域によって指し示す対象が違ってくるという超難解な言葉なんです。

ここまで入り組んでしまったのは、理由があります。古くから観客に笑いを提供する仕事をしてきた人々が、そのことに誇りや自負をもちながらも、同時に奇妙なコンプレックスも抱えてきたことに原因があるのでは。

こうした複雑怪奇な言葉達を、誰にも納得できるように使うことは至難の技では。中には見当違いの言葉遣いだったり、一部の方にとっては不愉快な物言いになっていことがあるかもしれません。ただし、筆者としては芸人でもアチャラカでも、リスペクトは込めても、下に見る思いは一切ないことだけは、お断りしておきます。

最後にまた、あえて芸人という言葉を使いますが。コントを演じている芸人は舞台や映画での芝居を、見事に演じきることはできても、その逆を考えた場合、ほとんどの俳優はお手上げでしょう。そう考えた時、むしろコントで笑わせられる資質を持っていることは、並の俳優より格が上に思えたりするんですが…。