前回、詳しく記したように、テレビ放送の開始によって、日本のコントも大きな変革を迎えます。それまで笑いの芸能の主流だった落語や漫才に比べて、大きな動きのあるコントはテレビ向きといえました。
テレビ局はコントの演じ手を各方面に求め、ストリップ劇場等に出演していた芸人を獲得。それだけではなく、寄席、演芸場はもちろん、さまざまな芸能の現場へとスカウトの手が伸びます。
新たなスターは意外な所に潜んでいました。昭和30年代初期の新宿ジャズ喫茶「ACB(アシベ)」。ここで定期的に演奏を披露していたのが、ハナ肇とクレージーキャッツという「ジャズバンド」でした。
もともとは、キューバンキャッツという正統派のバンドとしてスタートしたクレージーが、ACBで披露していたのは、一流のセンスと技術に裏打ちされた「音楽コント」でした。「コミックバンド」という呼び方もありますが、どちらにしても演奏の腕が確かでないと、笑いに繋がらないことは間違いありません。
グループのスターは当時から植木等で、楽器のパートはギターながら、メイン・ボーカル的存在で輝きを放ってました。「のど自慢」のパロディや、バンド内のいさかいをギャグで包んで見せた音楽コントは、回りが正統派のジャズバンドばかりだったこともあって、当時の若者達の支持を集めます。
とは言っても、日本で音楽コントを始めた元祖が、クレージーキャッツという訳ではないんですね。彼らの先輩格といえるバンドに、植木等や谷啓も以前所属していた「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」がありました。
じゃあ、彼らこそが元祖なのか? そう言い切ってしまおうとしたら、「その『音楽コント』ってそもそも何なの?」って声が、どこかから聞こえてきました(笑)。そっかー、やっぱ、そこから検証しなきゃですね(と、テーマは変わっても「脱線」グセは直らないようで)。
いま、漫才といえば、センターマイクを挟んで2人が掛け合うものですが、古くは羽織袴に身を包み、三味線や鼓を持って演じるのが基本でした。というか、漫才のルーツである「万歳」は、音曲や節回しとともに演じられる古典芸能ですから。
時代は流れて、大正から昭和へと元号が変わると、楽器を手放しスーツに身を包んだサラリーマンスタイルのモダンな漫才師が登場。すぐに、これが旧来の万歳に取って代わります。
しかしその一方で、音曲を奏でながら笑いを取るという形式は踏襲しつつ、三味線の代わりにギターやベース、パーカッションを使い、流行のジャズソングを歌い演奏する男達が登場しました。彼らの名を「あきれたぼういず」と言います。
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