時代が近づいてくると、やっぱりお話したいことが増えてくるようで、この先どんどん長くなっていくんじゃないかと、かなり本気で心配しています。

前回はクレージーキャツツの原点である音楽コントの変遷をたどっていくあまり、クレージーそのものにはほとんど触れられませんでした(笑)。ということで、一躍メジャーに躍り出た彼らが、芸能界に一時代を築くまでを、できるだけ要領よくお伝えしていきます。

もちろん、クレージーキャッツおよび、そのメンバーが日本の芸能界に果たした役割は、あまりにも大きく、それだけで一冊の本が書けてしまうほど。したがって、ここではそのごく一部にしか触れられないことを予めご了承ください。

昭和30年代前半、ジャズ喫茶で人気を集めたクレージーキャッツは、フジテレビ開局とともにスタートした、時事コントの帯番組「おとなの漫画」に起用されます。ここから彼らのブレイクが始まったと、さまざまな書籍等では記されていますが、日本中にクレージーの名を知らしめたのは、36年にリリースされた「スーダラ節」の大ヒットからでしょう。

一躍、人気タレントの仲間入りを果たした彼ら。さらにその人気を拡大させたのが、ザ・ピーナッツとともにメインを勤め、高視聴率の長寿番組となった「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ系)のスタートでした。

歌とコントをバランスよくミックスさせたバラエティショーは、たちまち日曜夜に欠かせない人気番組として、日本全国のお茶の間に笑いを運びました。「およびでない」が代表的ギャグとして広まりましたが、「シリーズコント」ともいうべき、同一設定、同一キャストによる定番コントも、番組を象徴するものでした。

「運動会」や「クリスマス」など毎回、決まったテーマのもとで進められるのですが、「おとっつぁん、おかゆができたわよ」の名台詞で知られる時代劇コントや、監督に扮したなべおさみが「ヤスダーっ」と叫ぶ撮影所コントなどが、頻繁に登場したものでした。

毎度変わらない設定で、オチもそれほどひねってなくても、お馴染みのキャラクターに愛着が沸き、お約束的雰囲気もお茶の間に受け入れられたのでは。スタッフにとっては何かと都合の良いこのスタイルは、その後のバラエティ番組にもしっかり受け継がれました。

番組の成功で、渡辺プロのトップに君臨したクレージー。だからなのか、共演のピーナッツはもちろん、ゲスト出演するナベプロの歌手のほとんどが、コントを演じることが必須になっていきます。

やがて、日本一の芸能プロの方針は、全芸能界へと引き継がれることに。その後、大小のさまざまな後継的バラエティでも歌手がコントに参加することが当然という流れになりました。

これによって、テレビバラエティのコントはお茶の間に親しまれやすいものになっていきましたが、その反面、プロのコメディアンだけで演じられるコンのクオリティを、それほど求めなくなってしまったことも事実です。

先ごろ亡くなった谷啓さんの時もそうでしたが、追悼の意味でオンエアされるのは、クレージーをはじめ実力あるコメディアンが結集した往年のコントばかりです。しかし、その下にはもっとゆるい(決して悪い意味ではなく)コントが量産されていたということも、記憶にとどめておいていただきたいです。