前回、クレージーキャッツの項では「シャボン玉ホリデー」を取り上げました。となれば、TVバラエティ黎明期の代表的プログラムとして、NHKの「夢であいましょう」(以降「夢あい」と略)を忘れるわけにはいかないでしょう。

とは言え「夢あい」について語るには、その多くのエッセンスを受け継いだ、先駆けになる番組について紹介しなくてはいけません(って、またそのパターン?)。種々雑多に見えるコントも、歴史の流れの中で複雑に繋がり合っているんですね。

では「夢あい」のルーツとは何なのか? 前身的番組といわれているのは、同じNHKで1959年10月から61年3月まで放送されていたバラエティ「午後のおしゃべり」。司会はファッションデザイナーの中島弘子で、そのまま「夢あい」に受け継がれました。

要するに、お昼に放送していたバラエティが、あまりにも評判高かったので、夜の枠に移動し、予算も増えて出演者、セット等も豪華になったというケースです。今で言えば、深夜からゴールデン昇格パターンっすね。

さらに、この源流をたどると、一本の番組へと行き着きます。というか、広い意味では日本のバラエティの元祖といえる番組に。それこそが、終戦直後に始まったNHKラジオ放送(といっても、この時点ではこれ以外の放送メディアはないんですが)の「日曜娯楽版」でした。

日曜夜に日本中の家庭が聞いていたといわれる超人気番組。特に目玉コーナーの「冗談音楽」では、世相風刺と政府への批判が、圧倒的支持を集めます。

とは言っても、そこには上質なユーモアに加え、タイトルどおりに軽快な音楽がふんだんに盛り込まれていました。替え歌、オリジナルソング、そしてジョークとジョークを繋ぐブリッジ。そのことをとっても、同時期の番組の中で、かなり都会的で洗練された番組といえるでしょう。

番組を率いたのは、元祖マルチクリエーターと呼ぶべき才人、三木鶏郎でした。彼の最大の功績の一つに、番組作りのために若き才能を次々に向かい入れ、トリローグループと呼ばれる集団を築いたことがあります。

俳優、放送作家、歌手、作曲家などさまざまなジャンルから集められ、多くの人物を第一線へと送り出しました。その中でも永六輔、キノトールらの放送作家によって形作られたバラエティが「夢あい」であり、そこには「冗談音楽」に負けず劣らず、上質の音楽が盛り込まれていました。

「音楽」と「笑い」と「情報」の3つが、バラバラに詰め込まれてるのではなく、渾然一体となって融合する。そうした構成こそが、「夢あい」が「冗談音楽」から受け継いだDNAといえるでしょう。