トリオ・ザ・パンチ、ナンセンストリオ、ギャグメッセンジャーズ、てんぷくトリオ、そしてコント専門ではなかったもののトリオスカイライン。彼らが昭和40年代のトリオブームを引っ張っていました。

コントの設定は、ギャングだったり、忍者だったり、インド魔術団だったりとまちまち。いずれも非日常の世界を描いてるところが、最近のコントとは大きく違うところですね。

ブームだけに「ハードボイルドだど」「♪親亀の背中に子亀を乗せて~」「びっくりしたなぁもう!」など数々の流行語を生み出しました。その辺りは、今のお笑いとピッタリ重なってます。

ただ、最近のお笑いは若手でも結成から早くても2~3年、遅ければ10年近く下積みを経験しているものの、当時のコント師たちは結成後ほどなくテレビ出演が増え、たちまちブレイクを果たしました。

というのも、皆さん、トリオ結成以前に舞台芸人として基礎をみっちり仕込んできてるんですね。ブレイクした時点で、ネタ作りの発想力から、観客を引き込む演技力、とっさの時にも対処できるアドリブの力を兼ね備えていた訳ですから、あっという間に日本中を席巻したのもうなづけるところです。

どのグループも必ず観客を爆笑させる鉄板ネタを持っていながら、ほとんどの所はそれに続く新ネタを量産することができませんでした。爆発的に仕事が増えれば、ネタ作りや練習の時間が削られるのは今も昔も同じ。そのうえ、もともとピンで活動してきた芸人の集まりだからか、トリオを続けていくことに強い執着もなかったようです。

唯一の例外は、今は大御所となった伊東四朗も所属してた、てんぷくトリオ。故人となった三波伸介、戸塚睦夫との結束は固く、座付き作家としてあの井上ひさしに依頼し、新作コントを次々に書いてもらってきたのも、長くトリオを続けたかった証拠では。

残念なことに、病気がちで晩年は休みがちだった戸塚が1973年に亡くなったことで、トリオとしての活動にピリオドを打つことになりました。その後、リーダーの三波は日本を代表する司会者となりましたが、82年に急逝。一人残った伊東の活躍は、ご存知のとおりです。

こうしてトリオブームが終焉を迎えたのと期を同じくして、グループのいなくなった空白を、たった一組のコンビが埋めてしまうほどの大ブームを引き起こしますが、この話はまた改めて後ほど。