前回コラムのまとめ部分で、これ見よがしに匂わせましたが(笑)、群雄割拠だったトリオブームを収束させたのが、ご存知コント55号でした。今度はこの1組だけで、日本を席巻するブームを巻き起こしたのですから、凄まじいパワーに満ち満ちていたことを、当時を知らない人にもご理解いただけるでしょう。

と、今回も快調に(?)始まりましたが、実はコント55号に関しては、当人および関係者による著作がかなり豊富です。そちらを読んでいただければ、おおよその事は分かるんじゃないかと。なので、そういった文献であまり言及されていない部分を中心に、落ち穂拾い的に展開したいと思います。

まずは、コンビ名について。もちろん各文献の中でも触れていて、「巨人・王選手が日本記録の55号ホームランを打ったことにちなんで」という通説に対して、萩本欽一本人の「ゴーゴーゴーと調子が良かったから」という証言を挙げ、当然こちらを正式な由来としています。

ただ「55号」については、さまざま語られていますが、なぜ頭に「コント」と付けたのかは、誰もが気にしていないようです。一時期、コント赤信号、コントレオナルドなど、頻繁に目にしたためか、何の疑問も感じなくなってましたが、55号以前、グループ名にコントと付けた例は見当たりません。

そもそも、ジャンルの名前をユニットに付けるという傾向は、日本だけでなく海外まで広げてみても、当時としては珍しかったのでは。数少ない例外が、1950年代後半にアート・ブレイキーらによって結成されたジャズ・メッセンジャーズ。

そこから、グループ名をいただいたコントのトリオが前回紹介したギャグメッセンジャーズですが、ひょっとしたら、この流れで「コント55号」と名づけたのかもしれません。欽ちゃん、二郎さんの両人ともご健在なだけに、ぜひとも聞いてみたい一件です(と、やっぱり今回も続きます)。