広川峯啓の“笑いま専科”

広川峯啓の“笑いま専科”

2010年09月

9月 27日

日本コント史 番外編(KOC)

始まったばかりで、しかも話の途中にもかかわらず、番外編を入れてしまうのもどうかと思いますが、まぁコント繋がりってことで大目にみてくださいっ。

ということで、先日の「キングオブコント2010」の話題を。正直なところ、これまで3回の中でいちばん面白かったんじゃないんでしょうか? これでうまく軌道に乗ったってことかもしれません。

おおよそのことは、AllAboutっていうサイトに書いたので、良かったら探して読んでみて欲しいんですが。ここでは優勝したキングオブコメディや大健闘したピース以外のコンビについて考えてみたいと思います。

総じて若手コンビに目だったんですが、観客に受けるコントよりも自分達が面白いと思うものを率先して出していたのでは。ある意味、アーティスティックな精神と言えるし、長い目で見れば決して間違ってはいないのかもしれませんが…。

ジャルジャルなんて、何が観客に受けるのかを十二分に知っていながら、あの2本をチョイスしてきた訳で。それこそがジャルジャルらしさなのかもと理解はできるものの、他にキングオブコントに相応しいネタがあったんじゃないかと、つい思ってしまいます。

いや、あのコントが詰まらないって言ってる訳じゃありません。特に前半の「クシャミとアクビ」のヤツなんて、演出次第でいくらでも面白くなる筈。思い切って、多人数の合同コントにして、全員が極端なクセを持ってる設定で、ラストでセッションのように盛り上げると、大受けすること間違いなしでは(参考:黒澤明「どん底」)。

審査員が50組の同業者だからといって、コントまで玄人受けを考えると却って逆効果になってしまうということが、今回の採点で周知になっのでは。これを踏まえた第四回以降の戦いも、刮目せざるを得ないでしょう。
9月 16日

日本コント史 その1「最後の伝令」(前編)

いま、コント史とワープロで打とうとしたら、意表を突いて「今敏」と変換されてしまいました…。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

さて、前回ざっくりご説明させていただいたように、日本のコントは海外のコメディとは異なる発展の仕方を遂げてきました。コントを「笑いの芝居」と捉えれば、その起源は遥か昔にさかのぼりますが、現在のコントスタイルのルーツと言えるものは、昭和初期の興行世界にその姿を見ることができます。

エノケンという名前を知っている人は、若い人の中ではかなり少ないんでしょうね。何しろ、某巨大検索エンジンでググったら(って、某にした意味ないし!)、6万5千件しか引っかからないんですから。ちなみに「ねづっち」で検索したら140万件でした(笑)。

「日本の喜劇王」という称号を持つエノケンこと榎本健一ですが、日本のコント史においても、元祖と呼ぶべき。日本を代表する繁華街だった浅草に誕生したレビュー小屋「カジノ・フォーリー」こそがエノケンにとっても、日本のコントにとっても出発点でした。

この浅草で一躍人気者になったエノケン。座長として看板役者として、数多くの長編喜劇を手がけてきましたが、研ぎ澄まされたショート作品も少なくなかったようです。

中でも、今の目で見ても傑作といえるのが、南北戦争のアメリカを舞台に、機関銃のようにギャグを連射する「最後の伝令」でしょう。半世紀以上の時を超えても、充分鑑賞に堪えうる作品は、まさに奇跡です。

そして、この作品をエノケンとともに作り上げたのが、元祖コント作家と呼ぶべき夭折の天才・菊谷栄なのです(後編に続く)。
9月 13日

キングオブコント開催記念 日本コント史 序章

優勝賞金1000万円といっても、それほど驚かなくなった昨今ですが、コント日本一という称号は何物にも変えがたいようで、今年で第三回となる「キングオブコント2010」にも、前回を越える3009組がエントリーしました。

もともとはフランス語の寸劇という言葉が語源の「コント」ですが、長い年月を経て日本独自の発展を遂げた感があります。そんな日本のコントは、大きく2つに分けることができます。

1つは、漫才と同じくユニット内における「お家芸的」なネタ。そしてもう一つは、最近では「合同コント」と呼ばれる、ユニットの枠を越えた集団のネタです。さらに後者には、1回っきりで使い捨てにされるものと、メンバーを変えながらも面々と受け継がれていく「名作」があります。

ただ、例えできの良い合同コントであっても、一度演じてそれっきりになってるものも結構あって、それってすごく勿体ないことなんじゃないかと思うんですが。本当に面白いコントは落語や漫才と一緒で、ストーリーやオチが最後までわかっていても、観客を楽しませることができますから。

本当の名作なら、出演者が多少アドリブを入れても、崩れることはないはず。コントを創作した人へのリスペクトさえ忘れなければ、どんどん復刻して欲しいものです。

そんな、時代を超えて愛されるべきコントの数々を、次回から時間軸に沿って紹介していきたいと思います。すぐれたコントは時代を超えて観客に訴える力があるということを示せるといいのですが。
9月 7日

金看板の男達(復活編)

これまで3回にわたって、ゴールデンタイムに看板番組を3つ以上持つ人気タレントを紹介してきました。ビートたけし、所ジョージ、島田紳助の3名なんですが、誰か抜けてるような気がしません?

タモリ? あの人は、昼間の番組が忙しいので、夜は進行役に徹してる「ミュージック・ステーション」と聞き役に徹してる「エチカの鏡」(9月で終了)の2本だけですね。

同じくゴールデン枠で2本担当していたのが明石家さんま。さらにこの秋からは、これまで11時台にオンエアしていた「ほんまでっかTV」が水曜9時に昇格。晴れて(?)金看板の男となりました。

ブレイクしたのが80年代の「オレたちひょうきん族」なので、約30年にわたってバラエティの第一線で活躍しているというのは、改めて考えると驚異的でさえあります。しかも、芸風がデビュー以来少しも変わってない(笑)。

そんなこともあって、さんまの人気は生まれ持った才能(口の悪い人は、「病気」と呼びますが…)によるものと思われがちですが、実は陰で努力しているようで。一例ですが、自身のトーク番組でも口走ってましたが、話題を広げるために「ドラゴンボール」全巻を読破したそうです。

「ワンピース」でも「けいおん」でもないところが、逆に面白いですが、それも含めて緻密な戦略なのかも。一方、同期であり、ある意味、永遠のライバルともいえる島田紳助は、自分が売れるために立ててきた戦略を全てさらけだしてきました。

お笑いの世界のトップに上り詰めた2人が、まったく違う方法論で笑いを追及してきたというのは、本当はもっと深く研究すきことなのかもしれませんね。
9月 2日

金看板 その3

前回、前々回と、ゴールデンアワーに3本以上の「看板番組」を持つ金看板の男達を紹介してきました。ビートたけし、所ジョージに続いてトリを飾るのは、なんと週6本もの看板番組をゴールデン枠に抱えている島田紳助です。

「えっ、明石家さんまは?」と思う人もいるかもしれません。午後7時から9時台までというタイムラインの中で捉えると、『踊る!さんま御殿!!』『さんまのスーパーからくりTV』の2本ってことになるんですね。とは言っても、11時台の『ホンマでっか!?TV』や、関西発の番組も好調なさんま師匠だけに、准金看板といってもいい活躍ぶりです。

そう思っていたら、この秋から『ホンマでっか!?TV』が、この秋からゴールデン枠に「昇格」するというニュースが飛び込んできました。これで晴れて、金看板の仲間入りということなので、時機を見てご紹介させてもらいます。

さて、本題の島田紳助に話を戻すと『行列のできる法律相談所』『人生が変わる1分間の深イイ話』『開運!なんでも鑑定団』『紳助社長のプロデュース大作戦』『クイズ!ヘキサゴンⅡ』『ホンネの殿堂!!紳助にはわかるまいっ』と、週6本の看板を持ち、まさに大車輪の働き!!

本人いわく「週に4日は休んでる」とのことですが、一度に2本撮り、3本撮りを駆使したとしても、相当に忙しい日々を過ごしていることは間違いないでしょう。さらに凄いのは、ほとんどの番組の制作にまで深くかかわっているということ。

6本はそれぞれタイプが違うものの、どれも次第にトーク部分が多くなって、互いに似通った印象を受けるのは、仕様というか「今はこれが受ける」という、確信犯的演出と思われます。

お笑い芸人きっての理論派だけに、気軽に見られる番組作りのために、緻密な計算が施されていることは、じっくりと番組を注視していれば腑に落ちるのでは。皮肉でも逆説でもなく「そこそこ面白い番組を作らせれば日本一!」という称号を与えたいくらいです。
プロフィール

hirokawa takaaki

「週刊テレビガイド」「TV Bros.」等の編集者として、客観的な目で見ることのできる立場からテレビと接する。 平成10年 フリーのライターとして独立。依然としてテレビ関係の記事、コラムを中心に活動。数年がかりの仕事として、日本テレビ50年史(非売品)の記事、コラムを共同執筆する。ミーハーさとマニアックさを合わせ持った目線で、ありとあらゆるバラエティを紹介していきます。

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