構成を担当したのは、いわゆるトリローグループとして「冗談音楽」に作家として参加していた永六輔、キノトールら。開局間もない民放ラジオ、テレビで大活躍していた2人ですが、「古巣」であるNHK初のテレビバラエティでも、ペンをふるいます。
当時、新進作詞家としても注目を集めていた永六輔は、日本テレビの人気バラエティ「光子の窓」の構成作家としても、忙しい日々を過ごしていました。ところが、60年6月15日の安保阻止、国会突入を行ったデモ隊に参加した事で、締め切りの台本をすっぽかしてしまい、そのせいで番組を降ろされたといいます。
「光子の窓」のディレクターで、日本のバラエティの育ての親とも言われる井原高忠によれば「思想うんぬんではなく、約束を守らなかったことに対しての措置」だとか。何にしても、この降板があったからこそ、「夢あい」の専任作家として6年間、番組を支えてきたのは事実。運命の不思議さを感じてしまいます。
当時でも、大勢のタレントが出演するバラエティは、複数の構成作家で担当するのが普通でしたが、「夢あい」は最後まで1人の作家が台本を書いていました。そのため、毎週1つのテーマで括られた中で、コント、トーク、歌とダンスが絶妙にリンクした30分を、日本中のお茶の間が楽しめたのでした。
黒柳徹子、渥美清、谷幹一、ミスター珍、E・H・エリック、坂本九、坂本スミ子といった豪華出演陣も、NHKだから集められたメンバーといえるのでは。渥美清が演じるコントの面白さは、当時でも「夢あい」でしか味わえなかったとか。
寅さんとは全く違う、そのキャラクターは、お笑い好きなら一度は見ておくべきでしょう。幸いにも全国のNHK「番組公開ライブラリー」で、現存する十数話を閲覧できるそうですので、ぜひ(と、盛り上がったところで、後編に続きます)。