広川峯啓の“笑いま専科”

広川峯啓の“笑いま専科”

2011年03月

3月 29日

思い出のボードビリアンたち・トニー谷(中編)

トニー谷のオリジナル芸といえば、前述のトニングリッシュと、ソロバンをパーカッション代わりに歌って踊るパフォーマンスが有名でした。しかし、その後あまりにも多くの芸人が受け継いだために、却ってオリジナルの芸風だったことが忘れられてしまった芸があります。

いわゆる「毒舌」です。今では多くの芸人が持ちネタにしていますが、ルーツをさかのぼっていくと、大きく2つに分かれることに気付くでしょう。

ひとつは、わざと的外れな文句を付けて、ツッコミを入れられる関西由来の毒舌。「ボヤキ漫才」と呼ばれ、古くから親しまれてきました。それとは違い、図星を突くことで、笑いを取るのがトニー谷の芸風でした。

それまでなかったタイプの笑いは、戦後の混乱期に一斉風靡しましたが、あまりにも過激だったため、テレビ、ラジオでは封印せざるを得ず、同時に人気も下降をたどりました。一般的には、息子の誘拐事件を機に毒舌が薄れたとされますが、個人的には、テレビサイズに合う芸が確立できなかったからと考えます。

テレビ創世記には、政府や役人に対する風刺の笑いは認められても、それ以外の毒舌は排除されました。その代わり、でもないんでしょうが、東京下町ならではの乱暴な口調は、渥美清の寅さんや毒蝮三太夫をはじめ、メディアでも愛されてきました。ただ、その内容自体は人情味にあふれ、親近感を感じさせるなど、毒舌とは似て非なるものです。

毒舌自体は、東京の寄席、演芸場では古くから聞くことができましたが、テレビで注目されるようになったのは、80年代の漫才ブーム以降でしょう。もともとはB&Bがボヤキ漫才をアレンジした広島・岡山対決のネタが話題を呼び、それを巧みに取り入れた紳助・竜介やツービートの漫才も全国的な人気を集めました。

ここまでは、ボケの「ボヤキ」にツッコミが入るパターンでしたが、そこからツッコミを取り去ってしまったのが、ベストセラーにもなった新書『ツービートのわっ毒ガスだ』でした。これをきっかけに、以降は現在まで、続々と新進の“毒舌家”が登場しているのは、皆様ご存知のとおり。

いつのまにか、ボードビリアン・トニー谷の話から、日本毒舌史のようになってしまいましたが(いつものこと?)、次回の後編で見事軌道修正してみせます(予定)。
3月 27日

思い出のボードビリアンたち・トニー谷(前編)

大震災で世の中が騒然としているいま、お笑いの世界にも多大な影響を及ぼす可能性が出てきています。しかし、その方向性がはっきりするにはもうしばらくの時間が掛かるのかもしれません。

そんな時期だからこそ、あえて過去の芸人について、思いを寄せてみたいと思います。これまで多くの芸人が一世を風靡してきましたが、その中でも比較的語られることのなかったボードビリアンに焦点を当ててみましょう。

ボードビルというジャンルを最近耳にする機会が減りましたが、乱暴に括ってしまえばピン芸ってことです。つまり、ボードビリアンはピン芸人ですね。R-1グランプリに出場していた芸人すべてをボードビリアンと呼んでも、決して間違ってはいません。

ただ、その昔、ボードビリアンと呼ばれた人々の多くは、その人ならではの独自の芸を持っていたものでした。その芸は、昨今のように1年程度で飽きられたりすることはなく、十八番(おはこ)の持ち芸として、長年に渡って観客から愛されてきました。

そんな往年のボードビリアンの中で、今もいちばん知名度が高いのが、やはりトニー谷ではないでしょうか。日本語と英語を巧みにミックスさせたトニングリッシュは、戦後の日本に爆笑をもたらせました。

最近だとルー大柴が日本語と英語をミックスするネタで受けを取りました。ただし、技術的な面ではむしろこちらの方がシンプルで、トニングリッシュは複雑で技巧に飛んでいました。

トニーの代表曲「さいざんすマンボ」は、彼の死後、リバイバルヒットを記録しましたが、芸人・トニー谷の名を知らない人が聴いても、十分楽しめてしまうところが、ボードビルの凄さなのかもしれません。(続く)
3月 24日

東北魂を貫くサンドウィッチマンの人間的魅力

サンドウィッチマンの二人とは、これまで2回ほど取材でお会いしたことがあります。最初は2年前、今年1月にも新作DVDのことで、インタビューさせてもらいました。

インタビューが終わり、取材道具を片付けようとしたら、伊達さんが「この前と同じメモ帳使ってるんですね」と一言。思わず感激して「覚えててくれたんですか!?」と訊いたら、今度は富澤さんが「もちろんですよ」と答えてくれて、感激は倍増しました。

一見して、コワもてな感じのするお二人ですが(失礼!)、誰よりも人に対する暖かさと気配りを持ち合わせた兄貴分という印象を強くしました。実際には、彼らの方がずっと年下なんですが(笑)。

昨年から今年に掛けて開催されたライブツアーでも、終演後に観客1人1人と握手して見送る姿が、DVDの特典映像に収録されています。アイドル的ルックスでもないのに(またまた失礼!)、芸人として異色の全国ツアーを、毎年成功させている理由も、漫才・コントの面白さはもちろんとして、彼ら独特の暖かさに触れたいという思いが全国のファンの中にあるからでしょう。

と、ここまで、芸人の芸以外の部分を長々と書いてきました。というのも、今回の震災で一躍クローズアップされたサンドウィッチマンですが、ずっと以前から人間味あふれた人物だったことを知ってほしかったんです。

芸人仲間だけでなく、タレントや歌手までも、サンドウィッチマンの立ち上げたチャリティに多く賛同を寄せている人々が多いのも頷けます。今回のことで流行語のように広まった「東北魂」という言葉も、実は昨年のライブ中にはTシャツに印刷され、アピールしてきたんです。

必要以上に深刻ぶることなく、時おりユーモアを交えながら東北援助を働きかけることができるのは、彼ら2人を置いて他にいない気がします。これからも、その人間的魅力で多くの人々を復興へと導いてくれることを、心から願いたいです。
3月 22日

サンドウィッチマンを東北復興のシンボルに!!

東日本大震災の発生から10日あまりが経過しました。政府も懸命に対策を推し進め、国内ばかりでなく海外からも救援の手が次々差し伸べられていますが、まだまだ状況は一息つくところにまで至っていません。

明るい話では、芸能界、スポーツ界等から続々と寄付やチャリティの申し出が寄せられています。驚くほどの多額寄付のニュースも流れる中、宮城県気仙沼市で被災したお笑いコンビのサンドウィッチマンには、他のタレントとは一線を画すほどの絶大な支持が寄せられています。

彼らが現地で被災を受けたことは、多くの人が知るところで、帰郷後はテレビ出演やマスコミ取材が集中しました。そこで彼らは、被災地の壮絶な姿を伝えたのに加え、テレビ報道のあり方について、被災者の立場から要望を訴えました。

タレントはテレビの方針に逆らわないもの、という暗黙の取り決めを打ち破った発言は、日本中の視聴者の共感を呼びました。これを機にテレビ報道もセンセーショナルな場面よりも、安否情報に力を入れるようになった気がします。

18日深夜に、スペシャルパーソナリティとして担当した「オールナイトニッポン」では、通常の5倍近い量のメールが寄せられ、その半分は被災地からだったとか。被災者を代表した真摯なメッセージを伝えながらも、間にショートコントを交えるなど、サンドウィッチマンにしかできない心のこもった2時間の生放送でした。

そして4月からは、沖縄を皮切りにチャリティライブを開催する2人。多くの芸人、タレントが彼らに賛同し、チャリティに協力すると宣言しています。これだけの大災害によって、日本中が打ちひしがれている中、どんな政治家よりも、いちばん力強いメッセージを発し活動をしているのがサンドウィッチマンではないでしょうか。

被災を受けた芸人ということだけにとどまらず、多くの人々にメッセージを伝えるパワー、周囲のタレントを引き込んでしまうパワーを、彼らは以前から備えていました。そんなサンドウィッチマンの人間的魅力については、次回のコラムで鋭く迫ってみたいと思います。
3月 9日

テキトーに見えても超ポジティブな芸人

前回は、いまもっともタイムリーといえるDVD「アンタッチャブル山崎弘也の休日inリビア【無修正完全版】」を紹介。今となっては貴重な、“革命前夜”のリビア映像が目撃できる作品としてお勧めしましたが、それもこれも、もちろん主役のザキヤマさんの活躍があったからこそ。

日本からリポーターが海外へ飛んで、現地の生々しい光景を伝える番組は、それこそテレビ創世記からありました。そんな中でリポーターの起こすハプニングに注目が集まるようになったのは「なるほと゜・ザ・ワールド」あたりからでしょうか。

それがさらにエスカレートして、マックスの状態まで突き進んだのが「電波少年」シリーズでした。現在も「世界の果てまでイッテQ!」など“過酷ロケもの”は大人気ですね。

ここ最近の風潮は「リポーターがスタッフに無理やり海外へ連れて行かれてムチャをさせられる」というもの。さんざん文句を言いながら、ミッションに立ち向かう姿が、視聴者の興味をひきつけるんでしょう。

ところが、われらが山崎さんの立ち位置は少々違います。久々にもらった休暇を使ってリビアへ行くことにした所に、スタッフが同行するというスタンスなんですね。気ままに動くザキヤマさんに、カメラクルーが振り回されるという映像は、これまでのものと一味違って見えます。

つまり、自分から危ないところへ飛び込んでいくのがアンタッチャブル山崎流なんですね。あと、言わなくていいことをわざわざ口にして、相手をムカつかせてしまうとか、(笑)。

よく、元祖テキトー男と言われる高田純次と比べられることが多いですが、自分から色んな所に引き寄せられてくスタイルは、意外にも若い時の笑福亭鶴瓶にも似てるような。

両方のいい所を合わせ持って、このまま突き進んでいったら、末恐ろしいことになるんじゃないでしょうか!? ちょっと不安もありますが、大いに期待したいものです。
プロフィール

hirokawa takaaki

「週刊テレビガイド」「TV Bros.」等の編集者として、客観的な目で見ることのできる立場からテレビと接する。 平成10年 フリーのライターとして独立。依然としてテレビ関係の記事、コラムを中心に活動。数年がかりの仕事として、日本テレビ50年史(非売品)の記事、コラムを共同執筆する。ミーハーさとマニアックさを合わせ持った目線で、ありとあらゆるバラエティを紹介していきます。

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