トニー谷のオリジナル芸といえば、前述のトニングリッシュと、ソロバンをパーカッション代わりに歌って踊るパフォーマンスが有名でした。しかし、その後あまりにも多くの芸人が受け継いだために、却ってオリジナルの芸風だったことが忘れられてしまった芸があります。
いわゆる「毒舌」です。今では多くの芸人が持ちネタにしていますが、ルーツをさかのぼっていくと、大きく2つに分かれることに気付くでしょう。
ひとつは、わざと的外れな文句を付けて、ツッコミを入れられる関西由来の毒舌。「ボヤキ漫才」と呼ばれ、古くから親しまれてきました。それとは違い、図星を突くことで、笑いを取るのがトニー谷の芸風でした。
それまでなかったタイプの笑いは、戦後の混乱期に一斉風靡しましたが、あまりにも過激だったため、テレビ、ラジオでは封印せざるを得ず、同時に人気も下降をたどりました。一般的には、息子の誘拐事件を機に毒舌が薄れたとされますが、個人的には、テレビサイズに合う芸が確立できなかったからと考えます。
テレビ創世記には、政府や役人に対する風刺の笑いは認められても、それ以外の毒舌は排除されました。その代わり、でもないんでしょうが、東京下町ならではの乱暴な口調は、渥美清の寅さんや毒蝮三太夫をはじめ、メディアでも愛されてきました。ただ、その内容自体は人情味にあふれ、親近感を感じさせるなど、毒舌とは似て非なるものです。
毒舌自体は、東京の寄席、演芸場では古くから聞くことができましたが、テレビで注目されるようになったのは、80年代の漫才ブーム以降でしょう。もともとはB&Bがボヤキ漫才をアレンジした広島・岡山対決のネタが話題を呼び、それを巧みに取り入れた紳助・竜介やツービートの漫才も全国的な人気を集めました。
ここまでは、ボケの「ボヤキ」にツッコミが入るパターンでしたが、そこからツッコミを取り去ってしまったのが、ベストセラーにもなった新書『ツービートのわっ毒ガスだ』でした。これをきっかけに、以降は現在まで、続々と新進の“毒舌家”が登場しているのは、皆様ご存知のとおり。
いつのまにか、ボードビリアン・トニー谷の話から、日本毒舌史のようになってしまいましたが(いつものこと?)、次回の後編で見事軌道修正してみせます(予定)。
いわゆる「毒舌」です。今では多くの芸人が持ちネタにしていますが、ルーツをさかのぼっていくと、大きく2つに分かれることに気付くでしょう。
ひとつは、わざと的外れな文句を付けて、ツッコミを入れられる関西由来の毒舌。「ボヤキ漫才」と呼ばれ、古くから親しまれてきました。それとは違い、図星を突くことで、笑いを取るのがトニー谷の芸風でした。
それまでなかったタイプの笑いは、戦後の混乱期に一斉風靡しましたが、あまりにも過激だったため、テレビ、ラジオでは封印せざるを得ず、同時に人気も下降をたどりました。一般的には、息子の誘拐事件を機に毒舌が薄れたとされますが、個人的には、テレビサイズに合う芸が確立できなかったからと考えます。
テレビ創世記には、政府や役人に対する風刺の笑いは認められても、それ以外の毒舌は排除されました。その代わり、でもないんでしょうが、東京下町ならではの乱暴な口調は、渥美清の寅さんや毒蝮三太夫をはじめ、メディアでも愛されてきました。ただ、その内容自体は人情味にあふれ、親近感を感じさせるなど、毒舌とは似て非なるものです。
毒舌自体は、東京の寄席、演芸場では古くから聞くことができましたが、テレビで注目されるようになったのは、80年代の漫才ブーム以降でしょう。もともとはB&Bがボヤキ漫才をアレンジした広島・岡山対決のネタが話題を呼び、それを巧みに取り入れた紳助・竜介やツービートの漫才も全国的な人気を集めました。
ここまでは、ボケの「ボヤキ」にツッコミが入るパターンでしたが、そこからツッコミを取り去ってしまったのが、ベストセラーにもなった新書『ツービートのわっ毒ガスだ』でした。これをきっかけに、以降は現在まで、続々と新進の“毒舌家”が登場しているのは、皆様ご存知のとおり。
いつのまにか、ボードビリアン・トニー谷の話から、日本毒舌史のようになってしまいましたが(いつものこと?)、次回の後編で見事軌道修正してみせます(予定)。