前回、前々回と紹介してきたクレイジーキャッツもドリフターズも、もともとはバンドマンでした。しかし、お笑いの道に進んでからは、並の芸人以上に笑いと真剣に取り組み、アイデアを凝らしてきました。その意味では、並みの芸人以上に芸のスピリットを持っていました。

その一方、歌手や俳優としての本業で活躍しながら、テレビバラエティのコントに出演する面々が目立ってきたのも、ほぼ同時期でした。最初のうちは、笑いを取る芸人の引き立て役が多かったものの、次第にメインで笑いを取る歌手も増えてきました。

その元祖といえるのが坂本九。「夢であいましょう」など、テレビ黎明期からバラエティにゲスト出演し、コントも演じていましたが、軽妙なキャラクターとおしゃべりで、茶の間の人気を集めました。ほどなく「九ちゃん」「イチ・ニのキュー!」などの看板バラエティーも生まれ、もちろん番組内のコントでは爆笑の渦の中心にいました。

ただ、そのコントの監督責任者は九ちゃんではなく、プロデューサーであり、ディレクターでした。そこが、芸人中心のコントと大きく異なる点です。番組の構成作家が書いたネタであっても、それを芸人が演じる時は、より笑いが大きくなるよう様々に工夫を凝らし、最終的には別物になってしまうことも珍しくありません。

これ以降、テレビのコントは芸人主導のものとスタッフ主導のものに二分され、後者ではおもに歌手や俳優が起用されました。当時からバラエティー番組には、ゲストで歌手が出演するのが決まり事のようになっており、その代わりなのか、若手の歌手は特にコントへ頻繁に参加していました。

そういった芸人抜きのコント番組の集大成とも言えるのが、奇しくも「8時だョ!全員集合」と同時期の1969年10月にスタートした「巨泉・前武ゲバゲバ90分」でしょう。総勢20名を超えるレギュラー出演者のほとんどが俳優か歌手。例外的に萩本欽一、坂上二郎、ハナ肇が参加していますが、いずれも従来の役柄とは違った起用法でした。(続きます)