よく、ショートコントのルーツは誰かということが話題になりますが、日本の中で源流を求めれば、やはり「巨泉・前武ゲバゲバ90分」に行き着くでしょう。中には10分近い長編もありましたが、短いものでは数秒で爆笑させるものもありました。

この番組がバラエティーの世界に及ぼした影響は、多大なものがあります。その中でも顕著だったのが、芸人を中心に置かなくてもバラエティーは作れるという認識が強まったことです。

確かに「ゲバゲバ」の面白さは、これまでの芸人が作ってきたコントとは異質でした。にもかかわらず、コント55号、ドリフターズと肩を並べる高視聴率を獲得し、「あっと驚くタメゴロー」などの流行語を生み出したのは、大げさではなく革命的出来事でした。

そこには井原高忠という名プロデューサーのもと、優秀なディレクター、構成作家を配し、高い予算を計上してきたことがあります。それだからこそのハイクオリティな完成度でした。この成功は、その後、スタッフ主導のお笑いバラエティが続々と誕生するきっかけとなりました。

期を同じくして、それまで隆盛を誇っていた、芸人たちによる演芸番組(いまの言葉でいう「ネタ番組」)が、次々に打ち切られる事態が生じました。後に「第一次」と呼ばれることになった演芸ブーム衰退の原因は、出演するメンバーに代わり映えがせず、視聴者から飽きられたことでした。

1970年代に入り、「ゲバゲバ」「全員集合」は相変わらず好調だったものの、コント55号やクレージーキャッツが担当するバラエティは、徐々に下火になりました。それに代わって台頭してきたのが、喋りが得意で芸達者な歌手たちが司会を担当する番組が台頭でした。

一口に歌手と言っても、ポップスからグループサウンズ、フォーク、演歌まで、幅広いジャンルからバラエティの世界に転進、あるいは兼業で脚光を浴びる人材が登場しました。その中でコントでも活躍を見せたタレントの代表格が、スパイダース出身の堺正章でしょう。(後編に続きます)