1980年代に入ると、60年代の演芸ブームを上回る勢いの漫才ブームが日本を席巻しました。しかしその間のブランク、特にブーム直前の70年代後半は、お笑いの停滞期ともいえる状況でした。

決して人気番組がなかったわけではありません。『全員集合』は高視聴率をキープしていたし、裏番組としてぶつけてきた『欽ちゃんのドンとやってみよう』も話題を集めました(これについては後述します)。また、同時期にスタートした他のバラエティものきなみ人気を集めていました。

『金曜10時!うわさのチャンネル!!』『カックラキン大放送』は、前回も紹介しましたが、『シャボン玉ホリデー』に代わってワタナベプロが力を入れてスタートさせた『笑って!笑って!!60分』『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』も、安定した人気を獲得。

両番組のレギュラーだったザ・ハンダースがリリースした『ハンダースの想い出の渚』が30万枚の大ヒットを記録したのは77年のことでした。また『みごろ!~』から生まれた『電線音頭』も大ブームを巻き起こしました。

筆者が好きだったのは、両番組で爆笑コントを繰り広げていた伊東四朗、小松政夫のコンビ。しかし、上記のブームにあまりにも脚光が当ったため、当時はそれほど注目を集めませんでした。

そのほかに人気を集めていたのが『うわさのチャンネル』でブレイクした、せんだみつお。コンビを組むことの多かった湯原昌幸や、女性アイドル達とともに、様々な番組でコントを繰り広げていました。

これらが高い人気を集めていたことは確かですが、それまでのコント、そして漫才ブーム以降のコントと比べると、明らかに違和感を感じるものがありました。いったいそれは何なのか? というところで、最終回も引っ張ります(笑)。