1960年代、お笑いの世界に旋風を巻き起こしたコント55号。その熱狂的なブームが一段落してからは、萩本欽一、坂上二郎としての個々の活動が目立つようになりました。

その中の1つに71年に始まった伝説の番組『スター誕生!』(日テレ)があります。番組内コーナーとして、大勢の少年少女を舞台に上げてゲームを繰り広げる「欽ちゃんとあそぼう」というのがありました。ゲームに熱中する素人の面白さを最大限に引き出し、ここから黒部幸英、西山浩司ら、第一次の「欽ちゃんファミリー」が誕生しました。

その翌年にスタートした『オールスター家族対抗歌合戦』(フジ)では、出場タレントの家族の個性を引き出し、アットホームな笑いをお茶の間に届けてきました。ただし、こうした番組は、当時も数多く存在し、素人いじりの名手といわれた人が何人も活躍していました。

こうしたテレビでの活動と並行して、ラジオでは72年に『欽ちゃんのドンといってみよう!』(ニッポン放送)という帯番組をスタートさせます。これは後に人気番組となり、萩本欽一復活と評された『欽ちゃんのドンといってみよう!』(フジ)の前身と言われるものでした。

今では、ラジオ番組の主流になっている、いわゆるハガキ職人による投稿番組でしたが、取り上げられる作品は決してアットホームなものばかりではなく、ナンセンスであったり、ブラックユーモアが混じっていたりして、当時の若者達に人気の番組でした。ただし、若者向けラジオに付きものの「下ネタ」だけは、決して採用されなかった点は、萩本欽一のポリシーが貫かれていたってことでしょう(笑)。

タイトルが一文字違いで、基本コンセプトも同じということで、ラジオの『欽ドン!』がそのままテレビに移行したかのように語り継がれています。しかし、両番組の間には大きな違いが存在しているように思えてなりません。