ラジオの『欽ちゃんのドンといってみよう!』を発展させた形でスタートさせた『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(ややこしや~)。素人を起用した新鮮さが、作りこんだコントのドリフに対抗したというのが、当時の見方でした。
今でこそ、全盛期の思い出や手法を、テレビや著作で頻繁に語っている欽ちゃんですが、裏番組とし烈に戦っていた時期には、これらが肉声で語られることは殆んどありませんでした。広報から発表されるものは、彼自身の声だったのか? 今となっては疑問が残ります。
「萩本欽一はなぜ(笑いの)素人を起用し続けたのか?」という謎に対して、筆者は一つの仮説を持っています。ただ、当人にこれをぶつけたとして「そのとおりです」とうなづいてくれるかどうかは判りませんが…。
要するに、大勢の素人とカメラの前でお喋りすることで、欽ちゃんは自らのトークスキルを磨きたかったんじゃないでしょうか。それまで55号のコントでは、一方的に突っ込むばかりで、二郎さんが突っ込み返す場面はほとんどありませんでしたから。
しかし、単独で番組を持つについては、様々なゲストとトークを繰り広げるコーナーが付き物。そこで楽しい会話ができるための修行が、わざわざ当人がロケに出かけての「素人いじり」だったように思えてなりません。
『欽ドン』が一応の成功を見た後、フジテレビは放送曜日と時間を変え『良い子悪い子普通の子』で再び勝負に出ます。前番組同様ハガキコントが中心ですが、そこには大きな違いがありました。前回はオチの台詞のみ読んでいた欽ちゃんが、今回はフリの台詞へと役どころを変えたのです。
オチは中原理恵やイモ欽トリオの面々に任せ、ハガキを読み終わった後もやり取りを加えることで、若い彼らをさらに面白くイジったのです。そこまでできるようになるには、欽ちゃん自身、周囲に見せない努力があったに違いありません。
この番組に先んじて、同枠で半年間放送されたのが『欽ちゃんの9時テレビ』。これはオールロケで欽ちゃんが日本各地の人々とふれあうという企画で、視聴率的にはいま一つでした。しかし、新たな『欽ドン』に向けて、トークスキルを向上させてきた萩本欽一が、『9時テレビ』で最終調整を掛けたと見ることも可能では。
ご存知のように、第二次の『欽ドン』は大成功を収め、この手法は『欽どこ』『週刊欽曜日』など他局の看板番組にも取り入れられ、たちまち視聴率100%伝説が巻き起こったのでした。リハーサルでは若手中心の出演者を徹底的に鍛え上げたという裏話が残っていますが、周囲に厳しくした以上に、自分自身にも容赦しなかった(しかも見えない所で)のが、萩本欽一という不世出のコント人だったのです。
ということで、集中的に続けさせてきた「日本コント史」は、今回の番外編を加えたところで、ひとまずお休みさせていただきます。次回からは、最新のお笑い情報満載のコラムをお届けしていく予定です。乞うご期待!!
今でこそ、全盛期の思い出や手法を、テレビや著作で頻繁に語っている欽ちゃんですが、裏番組とし烈に戦っていた時期には、これらが肉声で語られることは殆んどありませんでした。広報から発表されるものは、彼自身の声だったのか? 今となっては疑問が残ります。
「萩本欽一はなぜ(笑いの)素人を起用し続けたのか?」という謎に対して、筆者は一つの仮説を持っています。ただ、当人にこれをぶつけたとして「そのとおりです」とうなづいてくれるかどうかは判りませんが…。
要するに、大勢の素人とカメラの前でお喋りすることで、欽ちゃんは自らのトークスキルを磨きたかったんじゃないでしょうか。それまで55号のコントでは、一方的に突っ込むばかりで、二郎さんが突っ込み返す場面はほとんどありませんでしたから。
しかし、単独で番組を持つについては、様々なゲストとトークを繰り広げるコーナーが付き物。そこで楽しい会話ができるための修行が、わざわざ当人がロケに出かけての「素人いじり」だったように思えてなりません。
『欽ドン』が一応の成功を見た後、フジテレビは放送曜日と時間を変え『良い子悪い子普通の子』で再び勝負に出ます。前番組同様ハガキコントが中心ですが、そこには大きな違いがありました。前回はオチの台詞のみ読んでいた欽ちゃんが、今回はフリの台詞へと役どころを変えたのです。
オチは中原理恵やイモ欽トリオの面々に任せ、ハガキを読み終わった後もやり取りを加えることで、若い彼らをさらに面白くイジったのです。そこまでできるようになるには、欽ちゃん自身、周囲に見せない努力があったに違いありません。
この番組に先んじて、同枠で半年間放送されたのが『欽ちゃんの9時テレビ』。これはオールロケで欽ちゃんが日本各地の人々とふれあうという企画で、視聴率的にはいま一つでした。しかし、新たな『欽ドン』に向けて、トークスキルを向上させてきた萩本欽一が、『9時テレビ』で最終調整を掛けたと見ることも可能では。
ご存知のように、第二次の『欽ドン』は大成功を収め、この手法は『欽どこ』『週刊欽曜日』など他局の看板番組にも取り入れられ、たちまち視聴率100%伝説が巻き起こったのでした。リハーサルでは若手中心の出演者を徹底的に鍛え上げたという裏話が残っていますが、周囲に厳しくした以上に、自分自身にも容赦しなかった(しかも見えない所で)のが、萩本欽一という不世出のコント人だったのです。
ということで、集中的に続けさせてきた「日本コント史」は、今回の番外編を加えたところで、ひとまずお休みさせていただきます。次回からは、最新のお笑い情報満載のコラムをお届けしていく予定です。乞うご期待!!
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