つい、先日まで「日本コント史」という大河コラムを書かせてもらってましたが、マンザイブームが巻き起こる1980年直前のところで、めでたく中断させていただきました(笑)。

いろいろ事情もあったんですが、この時期からお笑いの状況が劇的変化を遂げた事も、理由の一つでした。コント自体も、それまで演芸場で披露されてきたものとは一線を画し、さまざまな要素を盛り込むことで、新しい笑いを生み出してきました。

一方、様々な芸術ジャンルが変容を遂げたのも、80年代だったといえます。もちろんそれ以前にも、文化芸術は時代とともに“進化”を見せてきましたが、この時代は“乱世の風”が吹き荒れました。

その一つに“パフォーマンス”と呼ばれる新たなジャンルが、確立したことがあります。60年代に“ハプニング”と呼ばれる芸術が発生し、その後も細々と続いていたものの、外圧を受けて名称も変更し(笑)、突如芸術ジャンルの最前線に降り立ったのでした。

ほとんど黒船上陸状態のムーブメントは、日本の芸術業界(?)全体にちょっとした混乱を巻き起こします。その結果、芸術とそうでないものの垣根に、多少の緩みが生じたのでした。

時期を同じくして、お笑いの世界も変革の時を迎え、従来のセオリーから大きく逸脱した笑いが、日本中を席巻していました。当時、文化の担い手と考えられていた新し者好きの中には、「この新しい笑いの中に、芸術と呼べるものが紛れてるんじゃないか?」と考える者も少なくありませんでした。

確かに、そう考えてもおかしくないというか、従来のどのジャンルにおいても、何となく納まりの悪いユニットが、当時絶大な人気を集めたことは事実です。

お笑いの世界を一時的にボーダレス化するほどの影響力を持ち、アートの世界にまで侵食する勢いを見せたユニットとは……。思わせぶりなことを書いて、後編も読んでもらおうとするのが、筆者の悪いクセです(笑)。