1980年代にもっとも影響力を持ったコントユニット。シティボーイズでもコント赤信号でもありません(もちん、どちらも大好きなグループですが)。それは間違いなくスネークマンショーです。

もともとは、75年にラジオ番組「スネークマンショー」としてスタート。DJを担当した小林克也と音楽プロデューサー桑原茂一によって形作られ、76年に俳優の伊武雅刀が加入。音楽番組内のブリッジ的役割として、さまざまなスケッチ(コント)をオンエアしてきました。

ブレイクのきっかけは、80年にリリースされたイエロー・マジック・オーケストラ4作目のアルバム「増殖」に、ユニットで参加したことでした。YMOの楽曲の間で演じた「ここは警察じゃないよ」「若い山彦」といったコントがセンセーショナルを巻き起こし、「スネークマンとは何物なんだ?」と、感性の鋭い音楽ファンを引き付けました。

翌81年には、ユニットとしてのアルバム「スネークマンショー(急いで口で吸え!)」をリリース。人気を不動のものにします。とはいえ、当時テレビ出演等は極力控えられました。キャラクターの声とSE(効果音)、そしてコントとコントを繋ぐ最先端の音楽(この時点で既に主客転倒)に耳をこらしながら、リスナーは想像力を膨らませていたのです。

スネークマンショーの魅力については、WEBにしても紙資料にしても、詳しく記された文献が膨大に存在しているので、ぜひそちらを参照してみてください。ただ一言で表わすとすれば「過激にして愛嬌あり」といったトコでしょう(ちなみにこの言葉、明治時代に創刊された歴史的雑誌「滑稽新聞」のキャッチコピーなんですが)。

スネークマンショーが話題になっていたほぼ同時期、こちらも日本中を巻き込んだ「マンザイブーム」がありました。この2つは「新しい笑い」を生み出したという点では共通していましたが、同時に大きな違いも見られました。

その違いとは……。というところで今回はここまで(笑)。次回こそ必ず完結させますので、乞うご期待。