大震災で世の中が騒然としているいま、お笑いの世界にも多大な影響を及ぼす可能性が出てきています。しかし、その方向性がはっきりするにはもうしばらくの時間が掛かるのかもしれません。

そんな時期だからこそ、あえて過去の芸人について、思いを寄せてみたいと思います。これまで多くの芸人が一世を風靡してきましたが、その中でも比較的語られることのなかったボードビリアンに焦点を当ててみましょう。

ボードビルというジャンルを最近耳にする機会が減りましたが、乱暴に括ってしまえばピン芸ってことです。つまり、ボードビリアンはピン芸人ですね。R-1グランプリに出場していた芸人すべてをボードビリアンと呼んでも、決して間違ってはいません。

ただ、その昔、ボードビリアンと呼ばれた人々の多くは、その人ならではの独自の芸を持っていたものでした。その芸は、昨今のように1年程度で飽きられたりすることはなく、十八番(おはこ)の持ち芸として、長年に渡って観客から愛されてきました。

そんな往年のボードビリアンの中で、今もいちばん知名度が高いのが、やはりトニー谷ではないでしょうか。日本語と英語を巧みにミックスさせたトニングリッシュは、戦後の日本に爆笑をもたらせました。

最近だとルー大柴が日本語と英語をミックスするネタで受けを取りました。ただし、技術的な面ではむしろこちらの方がシンプルで、トニングリッシュは複雑で技巧に飛んでいました。

トニーの代表曲「さいざんすマンボ」は、彼の死後、リバイバルヒットを記録しましたが、芸人・トニー谷の名を知らない人が聴いても、十分楽しめてしまうところが、ボードビルの凄さなのかもしれません。(続く)