いま、コント史とワープロで打とうとしたら、意表を突いて「今敏」と変換されてしまいました…。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

さて、前回ざっくりご説明させていただいたように、日本のコントは海外のコメディとは異なる発展の仕方を遂げてきました。コントを「笑いの芝居」と捉えれば、その起源は遥か昔にさかのぼりますが、現在のコントスタイルのルーツと言えるものは、昭和初期の興行世界にその姿を見ることができます。

エノケンという名前を知っている人は、若い人の中ではかなり少ないんでしょうね。何しろ、某巨大検索エンジンでググったら(って、某にした意味ないし!)、6万5千件しか引っかからないんですから。ちなみに「ねづっち」で検索したら140万件でした(笑)。

「日本の喜劇王」という称号を持つエノケンこと榎本健一ですが、日本のコント史においても、元祖と呼ぶべき。日本を代表する繁華街だった浅草に誕生したレビュー小屋「カジノ・フォーリー」こそがエノケンにとっても、日本のコントにとっても出発点でした。

この浅草で一躍人気者になったエノケン。座長として看板役者として、数多くの長編喜劇を手がけてきましたが、研ぎ澄まされたショート作品も少なくなかったようです。

中でも、今の目で見ても傑作といえるのが、南北戦争のアメリカを舞台に、機関銃のようにギャグを連射する「最後の伝令」でしょう。半世紀以上の時を超えても、充分鑑賞に堪えうる作品は、まさに奇跡です。

そして、この作品をエノケンとともに作り上げたのが、元祖コント作家と呼ぶべき夭折の天才・菊谷栄なのです(後編に続く)。